村上"PONTA"秀一。音楽をやっている人間、ちょっと深く聴いている人には説明不要の不世出ドラマーです。一般的には(なんというか徹子の部屋レベルで噛み砕くと)「フォークグループ『赤い鳥』のバンドメンバーとしてプロデビューし、坂本龍一らと結成した伝説の『KYLYN BAND』でインストゥルメンタルでは空前の人気を博す。その後1万枚を超える歌謡曲、ポップス、ロックのレコーディングに参加。ジャズロックトリオ "PONTA BOX" でモントルージャズフェスティバルに出場。山下達郎、矢沢永吉らトップミュージシャンのバンドを始め、現在もドリカムほか一流アーティストのツアーサポートに常に必要とされ続ける日本を代表するドラマーです。」
僕が初めてご一緒したのは伊太地山伝兵衛さんの九州ツアー。大分のブリックブロック。僕の人生では忘れもしない「ピアノソロのときにスティックを放り出してドラムを休む」という事件が発生しまして。そういうことをされたことが過去になかったので、手足がすくむほど驚きました。終わってから意図を尋ねに行ったところ、「ハプニングってのは見せ場なんだから、逆手に取って盛り上げられるかどうかは自分次第」「ちゃんと歌詞を聴いていたとは思えないデリカシーのないソロの入り口だった」と。そして長いアドバイス。「佐藤博という全音符しか弾かないキーボーディストが俺は大好きで・・」「曲によって演奏のアプローチやサウンドカラーをもっと大きく工夫すべき」諸々。
その後、僕が伊藤多喜雄さんのバンドに移ってからも渋谷公会堂や新宿厚生年金、苫小牧アリーナなど「ここぞ」というときのゲストとして参加されたり、大きなイベントでドラムソロやボーカルとのデュオを披露されたり、僕がバンド代表として打ち合わせに伺ったり、僕が佐山さんのプログラマーとしてポンタボックスに呼ばれたり。そんな距離間でお付き合いは続いてきました。もちろん現在まで伝兵衛さんのバンドでも年に数回ご一緒しています。
僕が精神的に不調となった2006年頃、ようやく這い出してライブを観に行ったら「音楽やめたんだって?これからはこっち側と、向こう側ってことで、ひとつよろしくね。」と悲しいほどに優しい言葉をかけられました。簡単にいうと「お前はもう同業者じゃない、お客さんとして親しく接することにする」という宣言です。1時間くらいかかって「音楽家として引き続き頑張ろうと思っている」ことを説明すると、2時間くらい叱咤されました。それでこそポンタさんです。
共演者全てのリズムを「正解」として飲み込む、ふくよかなビート。パルスというよりは波紋のような広い打点。一瞬で音楽を支配する力。ドラマ、ストーリー、色彩、意味、無意味、加速、減速、楽しさ、厳しさ、ハイリスク、ハイリターン、全てを持っている「世界のドラム史に名を刻む人」それが村上"PONTA"秀一です。これからもよろしくお願い申し上げます。
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